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櫻井神社(さくらいじんじゃ)

御朱印

所在地

〒660-0825
尼崎市南城内116-11

電話

06-6401-6643

画像

参拝日

1回目 2021年12月9日

歴史

明治十五年(1882)尼崎城址(西三ノ丸址)に
櫻井松平信定公より尼崎城最後の城主 十六代
櫻井忠興公まで十六柱をまつるために建立されました。

当社御祭神櫻井家の祖、初代 信定公は、
その勢力安定に尽力されました。
時代が移り、七代 忠頼(ただより)公が若くして亡くなられ、
お家が逼迫しましたが、幼少の八代 忠重公と
幼い主君を支えた忠実な家臣たちの
血のにじむような努力と徳川家康公のはからいで
お家再興がかないました。
十代 忠喬公は遠州掛川城より摂津尼崎城へ移ってこられ、
櫻井松平家最初の尼崎城城主になられました。
代々の城主は、文学・芸能にすぐれ、
中でも十二代 忠告公は、「亀文(きぶん)」と号して、
多くの句を詠まれ その内民の春 亀文」は、
境内の石柱に刻まれております。
尼崎城最後の城主 忠興公は、
明治十年(1877)西南戦争が始まり、
日毎に戦傷者が増え、その上 コレラが蔓延しているという惨状を聞き及び、
有志救護団体「博愛社」を結成し医師看護夫を派遣、
自らも戦地へ赴き敵味方の区別無く戦傷者を看護され
「博愛の精神」を大いに発揮されました。
これらの功績により、明治政府・世界赤十字社に
認められ明治二十年(1887)
日本赤十字社は誕生に至りました。
又、学問向上にも尽力され、明治六年(1873)
尼崎最初の学校、開明小学校を設立。
明治二十二年(1889)には櫻井神社境内に
尼崎最初の幼稚園(博愛幼稚園)が誕生しました。
この時、子供たちの無事成長を願って祀られた博愛地蔵が
境内にお祀りされています。

他にも境内には、元和四年(1619)
築城当時の尼崎城外堀に架かっていた橋の石杭と
礎石や弘化四年(1847)の
尼崎城本丸御殿(上料理の間)の棟瓦などが残っています。
※櫻井神社の宝物(尼崎市指定文化財)は、
尼信会館(博物館)常設展示されています。
(尼崎市神社あんない引用)

最寄駅

阪神電車 尼崎

一言メモ

阪神尼崎駅から川沿いを南に歩いていくわけですが、駅から川を渡ってすぐに
尼崎城があります。
(中に入るのは入場料がかかります)
尼崎城を見ながらお散歩気分で歩けるのが特徴です。
外観も綺麗なので和のテイストを感じながら神社を目指して
歩いていけます。

地図

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